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発達障害者のドキュメンタリー映画『あした天気になる?』ができるまで
−発達障害者の明日の幸せを願う親たち、映画監督、施設職員の連携で生まれた映画−
福岡 社会福祉法人鞍手ゆたか福祉会 理事長 長谷川正人
【はじめに】
今年2月、発達障害を持つ人たちの暮らしを描いたドキュメンタリー映画『あした天気になる?−発達しょうがいのある人たちの生活記録−』が完成しました。映画制作の話が持ち上がった2007年8月から完成までの1年7ヵ月間を振り返ると本当に感慨深いものがあります。
発達障害者を主人公とした映画には、「レインマン」、「マラソン」、最近では「ぼくはうみがみたくなりました」など、これまでに素晴らしい作品がたくさん制作されてきました。しかし、それらはどれも劇映画です。一方、「あした天気になる?」は、現実に存在し、そこで暮らす生身の人たちをカメラが追っています。また映画には、インタビューでたくさんの保護者の方たちも登場します。さらに利用者の自宅の居間までカメラは映し出します。
画面の中で自らのプライバシーをさらけ出し、カメラの前で本音を語る保護者たちの勇気、たくましさには圧倒されます。しかし、そこに至るまでに、保護者の方々は映画の制作意義を問い、自らの生き方を問い返し、世の中の発達障害を持つ人たちの明るい未来を築くために自分に何ができるのかを自問する中で、多くの葛藤と不安を乗り越えてきました。
一方、私たち施設職員も、映画制作に関わったことで、福祉に携わる者として、ひと回りもふた回りも成長できたのではないかと思っています。
【映画制作のきっかけ】
2007年8月下旬、東京の映画制作会社「ピース・クリエイト(有)」の宮崎信恵監督から私のところに1本のお電話がありました。「発達障害の人たちの暮らしを描いた映画を作りたいので、そちらの施設を取材したい」とのお話でした。当法人のホームページを見て、人権擁護を施設理念の前面に掲げ、利用者の支援に積極的に取り組んでいることに興味を持ったとのことでした。
9月中旬、当法人の施設の見学や職員への取材を終えた宮崎監督から、「サンガーデン鞍手とゆたかの里を舞台とした映画を作りたい」との正式な依頼がありました。私たちはその話を受け、法人全体で協議しました。その中で、施設内にカメラが入ることは「地域に開かれた施設を目指す」という法人理念の具体化に他ならず、さらに私たち自身が自らの支援実践のあり方を客観的に検証する契機となるのではないかという意見で一致しました。そうしたことをふまえ当法人では、映画制作に全面的に協力することになりました。
【映画制作に対する利用者と保護者の同意】
映画制作にあたって最も懸念したことは、利用者と保護者の意向です。ドキュメンタリー映画であるため、当然、出演者の顔や名前がスクリーンに映し出されます。そのことについて、利用者一人ひとりに確認したところ、利用者の皆さんは快く同意をしてくれました。
一方、保護者の方々については、映画出演の同意には、かなりの困難を伴うのではないかという気がしていました。そこで、家族会を開催し、宮崎監督から映画制作の意図について直接語っていただきました。そこでの保護者のご意見は、私の予想とは大きく異なるものでした。「きれいごとの映画を作るのではなく、パニックや行動障害なども含めてありのままの姿をしっかりと撮るなら賛成」というのが、保護者の一致したご意見でした。私はその意外な言葉に、驚きと同時に、この映画制作を「発達障害の現実をしっかりと社会に伝えるチャンス」ととらえる保護者の皆さんの切実で熱い思いに感動を覚えました。
【映画の撮影から編集まで】
その後、映画の撮影は同年11月から翌年8月まで、10ヶ月間にわたって行われました。監督並びにカメラマン、技術スタッフの皆さんは、その間に鞍手に9回来訪し、延べ40日間にわたってカメラを回し続けました。
最初は、戸惑っていた利用者の人たちも、回を重ねるごとに心を開き、撮影スタッフが来るのを心待ちにするようになっていきました。初めは拒絶するような態度だった人が急にネクタイをしてカメラの前に立ったり、自室にカメラを入れるのを許してくれたり、撮影スタッフを見つけると、「カメラのおばちゃん、おじちゃん」と抱きついてくるほどの親密な関係になっていきました。
また、保護者のご自宅で「宮崎監督を囲む母たちの懇親会」や、サンガーデン家族会の忘年会に撮影スタッフが招待されるなど、徐々に互いの信頼関係を深めていきました。
こうして撮影が無事終了し、東京では、映像の編集作業が始まりました。制作スタッフは、60時間分の膨大なフィルムを何度も観て、構成や流れをを考え、それにナレーションを入れていくという作業を続け、2008年10月、ようやく第1回目の編集作業が終了しました。
【試写会後の保護者の戸惑いと葛藤】
同年11月、サンガーデン鞍手では、利用者、保護者、スタッフを対象とした編集テープの試写会と監督との意見交換会が行われました。利用者さんの感想は、「お友だちがたくさん見れて嬉しかった」「私も映画に映っていてドキドキした」など、それぞれ映画のできに満足したようでした。
一方、保護者の皆さんは、撮影当初は「きれいごとではないありのままの姿を撮ってほしい」と語っていましたが、実際にできあがった映像を観て、わが子や自分の顔がスクリーンに映り、ナレーションで名前が呼ばれ、我が子の激しいパニックの姿を目の当たりにする中で、これから不特定多数の方々に一般公開されることの不安や戸惑いは、想像を絶するものでした。
そんな保護者の苦悩を痛感しながら、宮崎監督と私は、メールで常に自分たちの障害者観、社会観などを真摯に問い返しながら、様々なシーンについて、保護者一人ひとりと話し合いを重ねました。
そんなとき、監督や私を勇気づけてくれたのは保護者の方々からの以下のメールでした。それは、保護者の方々の心の奥に流れる日本中の発達障害の子どもをもった親たちへの熱いエール、連帯への優しい気持ちでした。
「みんな、わかっちゃいるんです!綺麗なだけの映像では届かないことを!しかし……、完成後に出てくるであろう想像される現実に、今、母たちの心は不安に揺れています!でも大丈夫!みなたくましい母達ですから!監督の思いが中途半端になりませぬよう……。親も、勇気を出した甲斐がありますよう……。楽しみに、うんと楽しみに。う〜んと監督に期待しています!フレーフレー!頑張ってください!」
「私は、障害者のこと、太郎のことを知ってもらうチャンス、嬉しくありがたく、小学校、養護学校のお母さんに見て欲しい!日本中の人に見てほしいです!自慢の息子ですから!」
「今度のことで、監督さんや施設長さんは、いろいろな人たちの意見を集約して前進することはとても大変なことだと思いますが、このことを乗り越えてこそ素晴らしい人に訴える作品ができるのだと思います。どうぞ最後まで努力して、一人でも多くの合意に至ることを願っています。そして、この問題を乗り越えた人たちは、ひと回りもふた回りも強くなれると信じています。また、私たちで良かったら、名前、住所その他載せてくださってかまいません。全国の同じ障害者の両親、家族が連帯してほしいと願うからです。良い作品になりますよう心から応援しています」
そうして、最終的に、ほとんどの保護者は、自らの葛藤を乗り越え、映画の出演に賛同してくださいました。
『あした天気になる?』は、それぞれに苦しみ葛藤しながらも、子どもたちの明日の幸せを願う親たちと、それに寄り添う監督、施設職員の連携の中で生まれた作品だと思います。
【映画の反響】
この映画は、今年2月の鞍手町での完成記念上映会を皮切りに、既に東京都、名古屋市、伊勢原市など様々な地域で上映されています。
アンケート用紙には、映画を観て勇気づけられたという発達障害の子を持つ親御さん、発達障害に対する理解が深まったという学生さん、わが子への愛情の深さに胸をうたれたという方、支援のあり方について自分を問い返したという支援者など、たくさんの感動の声が記載されていました。笑いあり涙ありの中で、深い愛情を感じる映画になっています。
【おわりに】
この映画は、見る人によってそれぞれ視点や見方、感じ方が異なるでしょう。監督は、「この映画は主義主張を前面に出している映画ではない」と語っています。そこには、スクリーンに映っている彼ら自身の圧倒的な存在感と映画を観る人の感性に対する信頼があるように思います。だからこそ、この映画は肩肘を張らずに自然体で観ることができるのだと思います。
発達障害をもつ人たちが晴天の下で気持ち良く生きていける「あした」の社会を築くことができるか。彼らが問いかける『あした天気になる?』という言葉は、「あした天気にしてくれよ!」という叫びにも聞こえます。
私は、この映画をひとりでも多くの方々に見ていただき、発達障害を持つ人たちが日々抱えている多くの不安や緊張を理解していただければと思います。また行動障害に日々苦しみながら出口の見えないトンネルをさまよっているご家族や支援者の方々にも見ていただき、行動障害は適切な環境と支援によって限りなく軽減されるということを知っていただきたいと思います。
※長谷川氏ブログ 新たなる地平を目指してより使用
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