【1年生】 |
- 石井筆子さんは、初めて名前を聞きました。
でも、初めて聞いて何も知らなかったけどすごいことを一生の間に成し遂げた人だと思いました。
「男女平等」「女性の地位向上」聞いてみれば今は普通のことだと思います。
でも昔の時代の人にとっては、この人がいて今の世界があるといってもいいくらいに活躍した人だと思います。
「男子のために女子はいるのではない」本当にその通りだと思います。
人はみんな1人の人間として生まれ育っていくものであると思う。 知的障害者もまた同じ人間であり、偏見、差別などあってはならないことだと思う。
石井筆子さんは、そのようなことを訴え続けた人で、私は石井筆子さんと勇姿に感動しました!
男女ともに平等な世の中を求め、偏見や差別に苦しむ人を助けてあげる。
本当に心が優しく、思いやりの心の強い人だなと思いました。
こんな心を持つ人が今の世界にもたくさんいればこの世界はもっと人間としての1人1人の人権が認められる。
障害者の人々も住みやすくなると思います。
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- 僕が今回の映画「無名の人」を観て思ったことは、主人公の石井筆子さんの決めたらやるという心のすごさです。
筆子さんは、江戸時代の中でも大村藩の開国派っぽい人たちの中の渡辺清という人の子どもだったから、
こういう男女平等とか障害者の人たちの教育などの進んだ考えを持てて、それに人生をかけて取り組めたんだろうと
思いました。筆子さんは日本の女の人より男の方が偉いという変な風習に嫌気がさして、海外の進んだ知識などを 学んだんだと思います。
そして、それを実現するために滝乃川学園という教育施設をつくり、障害者の人たちの教育に
励んだ筆子さんはとっても偉くてすごいと思いました。
そして、すごいと思ったのは地位の高かった筆子さんが自分の選んだ道を突き進んで政府とかの考えに背いて 地位を落としていった筆子さんの決意はすごく固くて強いんだろうなと思いました。
当時の人たちが考えていたことに強く反対して、自分の意志を貫き通した筆子さんは他の人のために全力を尽くして 頑張れる強くて優しい心の持ち主だと思いました。
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- 無名の人を鑑賞して石井筆子さんはすごいなと思いました。
勉強ができて海外留学などにも行っていろんな経験などをしているからです。
勉強は昔、女の人はできなかったのに石井筆子さんは勉強ができてすごいなと思いました。
海外留学は男の人でもあまり行ける人はいなかったのに海外留学に行ってすごいなと思いました。
三人の子供を産んだけど三人とも障害をもっていてかわいそうだなと思いました。
その子供は三人とも自分より先に亡くなったのでこれもかわいそうだなと思いました。
石井筆子さんはみんなが平等であるようにと考えてみんなを思うところ、みんなが平等ということは、
みんな差別をしないでみんなで仲良くするということだからそういうことを思うところがいいなと思いました。
いまでも大村小学校に像に残っているからみんなに認められている人なんだと思いました。
石井筆子さんの生涯はみんなのためだったと思います。
石井筆子さんみたいな人がいっぱい増えるといいなと思います。
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- 私は、映画に出てきた津田梅子さんは歴史の勉強で習ったのできちんと知っていたけど
石井筆子さんは、あまりというかほとんど知りませんでした。
でも、大村小学校の所にある像は前からどんなことをした人だろうと思っていました。
なので、映画で筆子さんの生涯を知れて良かったです。
筆子さんは子供を3人産んだうち2人も亡くしているのに長女の障害をもとに知的障害に夫と立ち向かっていった ところがすごいと思いました。
これは、私の考えだけど筆子さん夫婦がいなければ障害のある人たちはこの世を満足して暮らして いけなかったと思います。
なので私もこれからの日本が差別のない生活になるようにいろんな人と楽しく触れあっていきたいです。
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- 私は、この映画を観てはじめて石井筆子さんを知りました。
私は石井筆子さんのことは名前さえも知りませんでした。
この映画を観て石井筆子さんが長崎県の大村市玖島1丁目に生まれたと言っていたので私は大村に こんな凄い人がいるなんて知りませんでした。
石井筆子さんには、津田梅子さんなど有名な人が友人にいること知って驚きました。
石井筆子さんは女の人が自分の意志をはっきりと言ったり表したりすることのできない時代に、自分の意志や
考えをはっきりと主張し、最後まで貫き通した強さはとても大きいものだと思いました。
私は、石井筆子さんのように自分の意志を持ち、はっきりと言える時代に生きているのでその権利を大事にしたいです。
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- 石井筆子さんは大村出身で有名な人だったことをはじめて知りました。
筆子さんは、親がいない子や知的障害の子供たちと一緒に住み、たくさんの子供を自分の子供のようにして
育てていたと思います。筆子さんの長女も知的障害がありました。
でも、長女とともに学園の子供たちと住んでいました。
たくさんの子供たち、長女たち誰にでも優しく接し、いい人だなと思いました。
学園が火事になったときも、まだ家の中にいる子供たちを助けに火の中に飛び込んでいったこともすごいなと思いました。 6人の子供が亡くなってとてもかわいそうでした。
筆子さんは84歳で亡くなりましたが、最後までいろんな人の役にたって、悔いのない人生だったんじゃないかと思いました。
こんなすごい人が大村にいたなんて誇りに思いました。
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- ぼくは、いままでこの石井筆子さんという人がいたということを全く知らなかったし、この人が大村出身だということなど
今日の映画を観るまでは思ってもみませんでした。
それに一緒に留学した津田梅子さんの方はみんなに知られているのに石井筆子さんの方は歴史の裏側に隠れてしまい
いままで世間の人に知られなかったなんて、なんかかわいそうだと思いました。
それに石井筆子さんは、子供を三人も産んだのにその三人のうち長女の幸子は、知的障害がありました。
でも長女の幸子以外の次女と三女は、早くに亡くなってしまい、幸子も30歳近くという若さで亡くなってしまい、 残された石井筆子さんはとても悲しかっただろうと思いました。
でも、石井筆子さんはこんな悲しみの中でも知的障害者の子供たちのことだけを考えて、夫の亮一さんと一緒に
滝乃川学園を立て直していったけどその後亮一さんも病に倒れてしまい亡くなってしまいました。 石井筆子さんも病に倒れてしまい、85歳で亡くなってしまいました。
今は、大村小学校の門のところに石井筆子さんの銅像がありました。
ぼくは、これだけのことをしたのにみんなに知られずにいたからこの映画の題名が「無名の人」なのかなと思いました。
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- 石井筆子さんという人が行った事の中ですごいと思ったことは、女性の地位向上です。
多分そのころの日本では女性は早く結婚して家庭に入り家事やそうじなどをしっかりこなすことが
役目だったんじゃないかなと思います。
だけどそう言う状況のなかで、2回目の海外(アメリカ)留学でアメリカの女性の生き方をみて
日本の女性の地位の向上をするために動き出すことは、なかなか簡単にできることではないし
すごい勇気と固い決意があったんだと思いました。
それに今の女の人たちが自由に働けるのも今私たちがこうやってしっかりと教育が受けられる
のもこの人のおかげなんだとこの映画を観て感じました。
この人は、女性の地位向上の他にも知的障害者の人たちの教育や、災害で家族がいなくなった
女の子たちの教育と職業を見つけるためのサポート等をおこなっていて、人とは違う、人には
ない物事の考え方や視点をもっている人なんだと思いました。
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- 映画の最初にでてきたように、女子は男子のために生まれてきたんじゃないし、男子は女子のために生まれて
きたんじゃないと私は思います。
でも、男女の差があるのはなんでかなと思いました。
普通の人が考えると、家族の中で1番偉いのは、お父さん(男)だし、女が天皇になるのはおかしいと考えています。
私は、そこで男女の差がでているのがわかると思います。
このことを石井さんが言いたかったのかなと思いました。
あと、映画にでてきた人が言っていたことで、石井さんは「自分に厳しく人にも厳しかった」と言っていました。 わたしは、そういう人は良いなと思いました。
自分に厳しくするのは当たり前だけど私の周りにはそういう人はいません。
映画に出てきたけれど旦那さんが滝乃川学園の園長をしていて、旦那さんが亡くなると誰も引き受けなかった
園長を引き受けたし、火事の中、園の子供たちを助けにいったことはやっぱり、自分に厳しいからかなと思いました。
石井さんは、身内の人をたくさん亡くしたのにたくましく生きていたのですごいなと思いました。
私も、将来そんなたくましい人になりたいです。
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- 今回はじめて「無名の人」を鑑賞しました。
これを観て筆子さんの生き方を知りました。
筆子さんのすごいところがたくさんありました。障害をもった人たちを育てたり、滝乃川学園などで
知的障害者の人たちと一緒に過ごしたりしました。
外国の人から誘いでフランスに留学をしたりして、外国のことについて学んだりしました。
あと、日本の代表者として外国に行き、自分の思ったことをスピーチしてたくさんの人から拍手を
もらったりとか、学園が火事になった時、火の中に飛び込んで子供を助けたりしました。
火事になったあとでも子供たちを幸せにするため筆子さんは本を書いてお金を稼いだりしました。
筆子さんはみんなのために体がボロボロになるまで頑張り、差別をしないでいろんな人たちが
幸せになるようにと頑張っていました。
「無名の人」という映画を観て、自分も筆子さんのように自分に厳しく、差別をしないで
ちゃんとした人生を送れるように自分はなりたいなと思いました。
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【2年生】 |
- 「無名の人」を観て感じたこと、大村に生まれてあまり名前も知られていない知的障害者の人たちの
教育のための学校を建てた石井筆子さんは若い頃は上流階級のあまり不自由しない生活をしていた。 けれど、自分から裕福な環境を捨て、自ら苦労するであろう福祉の仕事についた。
自分だったらというか普通の人であったら自分からいばらの道には入らないと思うけど、筆子さんは
自分の子供と主人の事もあり、死去するまでずっと知的障害者と向かい合った。
途中火事で6人の死者を出した事件もあり、そのことでお金のことに頭を抱えて苦労の連続であった人生だったと思う。
でも、すばらしい人には違いない。自分より他人を考えている人だから。
自分がこういう人になれるかは分からないけど、ちょっとでも見習いたいです。
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- 「無名の人」を観ているときに最初は「石井筆子さんってかわいそうだな」と思っていました。
辛いことがたくさんあって、大変そうだったからです。
私が石井筆子さんだったら、乗り切れないことがたくさんあると思います。
体に障害がある子と付き合っていくのは大変な時だってあるのに石井筆子さんはその子達の気持ちを考えて、
救ってあげていました。写真でみたその子達の顔は輝いていたので本当に石井筆子さんってすごい人だったんだなと
思います。とてもつらい事を乗り越えてきた石井筆子さんは可哀想なんかじゃなくて強い人だったんです。
最後の方を観ながらそう思いました。
それにしても、そういう有名な人を知らなかったなんて、大村人、女として少し恥ずかしい気持ちがします。
「無名の人」の最初の方にでてきた石井筆子さんが書いていた文章に男も女も平等だ… という意味の文が書かれていました。
昔は男の人が強かった時代だったのに、女の人たちのこともすごく考えてくれていて、女として嬉しかったです。 今日は、石井筆子さんという人を知ることができて良かったです。
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- 私が石井筆子さんの行動で一番感動したところは、火事になったとき、自分もケガしてまで
子供たちを助けだそうとした所です。
火事になったら普通の人はきっと自分のことで精一杯で、助け出す勇気は簡単には出ないと思います。
あと、知的障害をもった子供たちと接するのは、自分の3人の子供を思い出してきっと辛かったんじゃないかなと思いました。
全部うまくいくわけじゃなく、いろんな困難を乗り越えていく筆子さんの勇気や強さ、あきらめない
心を見習いたいなと思いました。
それと、自分の決意を揺らがせることもなく、決めたことを最後までやり通す所を周囲の人たちに
よく思われなかったとしても、こうして人々のために生きた筆子さんは、本当に素晴らしい人だなと思いました。
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- まず驚いたのは、大村にも歴史に残るほど立派な人がいたということです。
私は戦争の被害にあった人や不幸なことを数々経験した人の資料などを見ると「かわいそう」と
同情する気持ちがでてきてしまいます。
でも今回の映画ではそういう気持ちが全くと言っていいほど出ませんでした。
私は、その理由を考えて浮かんだことが1つあります。
それは、筆子さんが見せてくれた『女の人の強さ』です。私は普段不自由さを感じることはほとんどありません。
でも筆子さんは、だんなさん、3人の娘、親友と大切な人がどんどん自分の目の前から消えていってしまいました。
世の中でもよく口にされる言葉で「人間1人では生きていけない」という言葉があります。
筆子さんは生涯の全てを“教育”に捧げていて、障害をもった子も含め、たくさんの子供たちや教育関係者と共に
いまししたが、思い返してみると筆子さんと血の繋がった一生を共に生きると約束した人など『家族』と言える人は 居なかったのではないかと思います。
映画の途中でもありましたが、自分の家族がいなくなっても決して後ろを振り向かず、立ち止まらず
前だけをみてみんなに尽くしてきたのはとても立派だと思います。
この部分は今回の映画鑑賞を観て一番強く感じた所でした。
上流家庭の娘として育った筆子さんが一番下の暮らしの中へ飛び込んでいくのはとても勇気が
必要なことだし、半端な覚悟じゃいけません。そのくらい筆子さんの想いが強かったんだと思うと、
私も日々の生活を見直し、影の存在でもいいので誰かに感謝される人になりたいです。
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- 石井筆子さんはとてもすごい人だなと思いました。
なぜかというと、女の人の生き方ついて考えてその時代の常識にも反発して、自分の意見を
主張しているからすごいなと思いました。
しかも、知的障害の子供にも優しくいろんな事を教えていて、とてもいい人だなと思いました。
学校まで作り、自分のお金(?)を使ったりしたのはすごく感動しました。
しかし、その学校も全焼して生徒が6人も焼死したのはとてもかわいそうでした。
筆子さんも足を怪我してかわいそうとも思ったけど、自分の生徒を助けるために火の粉が飛んで
いる中に自ら入っていくのはとても素晴らしい人だなとも思いました。
こんな悲しいことがあったのに、更に大黒柱の夫が亡くなってしまいました。
それなのにやっぱり筆子さんは夫がいなくなっても頑張っていました。えらいなと思いました。
こんなに人のために自分の生涯が終わるまで頑張っていたのはすごい人だ、とても素晴らしい人だとも思いました。
今の時代は、昔ほどないと思いますが、差別などがあると思います。
だから僕は、障害者には差別なく安全に暮らしてもらいたいのと、この石井筆子さんのような
人が一人でも多くいてくれたらなと、心から思います。
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- 私は最初、石井筆子、津田梅子について海外留学をした人ということしか知りませんでした。
今日、「無名の人」を観て石井筆子のことをたくさん知ることができました。
筆子は当時、女性にあまり権力がないにも関わらず自ら積極的に勉学に励んでいた。
もし、私が石井筆子と同じ時代に生まれていても筆子のようにはできなかったと思います。
津田梅子は海外で11年間も勉強をしたのに男性と同じような良い職につけなかったり、
勉強がいかせないことに不安を感じたりしていました。
これがもし今の時代だったとしたら、本人の努力次第でとても良い職につけるはずです。
しかし、今そんな風に女性も男性と同等の地位にあるのは、この時代に石井筆子をはじめとする
女性たちが努力をして認めてもらえた結果だと思います。
だから私は、その努力を無駄にしないよう石井筆子たちに感謝して女性にしかできないことを
これからたくさんやってみたいなと思いました。
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- 私は石井筆子さんの生き方にすごく感動しました。
石井さんは自分にささげる人生じゃなくて人にささげれる所にすごく感動しました。
「知的障害」この言葉だけじゃどんな病気かわからないし、実際にみたこともありません。
ひとついえることは、同じ人間であること。
石井さんや津田さんは、人を見た目で決める人じゃなくて、中身で決める本当の人間だなと私は思いました。 いろんな人に優しく接する人になりたいと思いました。
お金持ちからみんなに差別される立場になって、たぶんいろんなことを学んだことだと思います。
いろんな立場に立ったんだからこそ、心が優しい人になれたんだと思います。
今日の映画を観て、人は自分中心になりがちだけど、その中でも人のために自分の人生を注いでいる人も いることがわかりました。
お金でいろいろ解決できる世の中だけど、心で解決できる世の中になればいいなと思いました。
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- 今日私は、映画を観て改めて思ったのは、学習っていうのはとっても大切だし、人生は自分で
決めて行動するものだということです。
私は大村にそんな有名な人がいたなんて思いもしてなくてびっくりしました。
ただ、人のために素敵なことをしていたのに自分の身のまわりの人が次々と死んでいくなんてとっても悲しい運命を 辿ってきたんだなと思いました。
そんな石井筆子さんは、なんか可哀想だけど立派に見えます。
なぜなら自分だけ幸せでいいという考えじゃなく、人に幸せになってもらうために人生を捧げてきたことが すごいと思うからです。そして、この映画を通して学習をもっと大切にすること。
やりたくてもやれない人がいる中で私は何不自由なく、学習ができていることを幸せに思うこと。
そして、身のまわりの人にもっと感謝すること。私はとくに親に迷惑ばっかかけて何もしてあげれてないということが 改めて分かった気がします。
もっとしてもらったことがあるなら必ず返さなきゃいけないから、もっと、もっと、普段から感謝の行動を出さないと いけないと思いました。
この映画を観て学べたことはいっぱいあったから、それをこれからの生活に活かして、人生を悔いの残らないものに したいです。
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- 当時の日本の女性に対するあつかいが今と比べてどれほどのものかがよく分かりました。
女性は男性の付属品だとか、結婚しなければ一人前にならないとか、あげくの果てには親までも娘が
15〜16歳になると処分したがるなど、ほとんど物あつかいで、途中「なぜ、こうなんだろう?」と思う点だらけでした。
それが、筆子さんたちのおかげで今の女性の地位が築けたというのは素晴らしいことだと思います。
映画の中で筆子さんが書いた日記が出てきたけど、その字は私と同じ14歳なのにすべて英語で しかもとてもきれいな字でした。
それを見て筆子さんがいかに優れた人かが分かったし、今の男性よりもよっぽど賢いのではないかと思いました。
筆子さんは結婚して、娘ができ、そのうち一人が障害をもつ子供でした。
でも、それからめげずに福祉施設を建て、夫と共に学園を営み、またその学園が火事になるなど大変な出来事にも 立ち向かっていった。本当にすごい人だと思います。
今の女性の地位は彼女の頑張りによるものだと知っておけて良かったです。
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- 初めて大村市に石井筆子さんのようなすごい人が住んでいて驚きました。
なぜ、私は筆子さんのことをすごいと思うかというと筆子さんの生き方に感動したからです。
日本ではじめて建てた福祉施設「滝乃川学園」これを建てたことで、多くの人々を助けたと私は思います。
もし、滝乃川学園を建てていなかったら、今の大村市に障害の人が安心して入れる施設があるでしょうか。
結婚して3人の娘をもった筆子さんは幸せだったと思います。しかし、1人の子が知能に障害をもち、 早くにして幸子さん、恵子さん、貞子さんの3人の娘を亡くしてしまいました。
だけど筆子さんは落ち込みながらも仕事する。そんな筆子さんを心から尊敬しました。
私も筆子さんのように同等の意見をもち、区別しない強い人になれたらいいと思いました。
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- 私が「無名の人」の映画を観て、今私たちが住んでいる大村に昔、石井筆子さんという人がいたことをはじめて知りました。
石井筆子さんは大村の玖島出身で、これまでの“女性は男性より劣っている”という考え方でなく、 “女性と男性は平等である”という考えを早くからもってた人です。
また、知的障害者のための施設を作り自分の人生の最後まで知的障害者の人々のために力を尽くした人でもあるそうです。
私がこれを観て感動したことは、自分の子供が早くから亡くなってしまったり、夫や親友の津田梅子さんが亡くなっても 一生懸命自分のことはほっておいてまで障害者の人のため、
自分以外の人のために働いていたことです。
もしも私なら大切な人が亡くなってしまったら、すごく悲しくて人のために働くことはできないだろうなと思います。
この映画を観て、私も筆子さんみたいに、人に尽くせて優しく(力強い)女性になりたいです。
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- 大村にこんな人がいたとは全く知らなかった。
しかも、日本で最初の女性の留学生というので更に驚いた。
この石井筆子というひとは、女は下に見られる、ということを“現実なので仕方ない”で終わらせず
その常識をひっくり返すために頑張っていました。これはすごいと思いました。
しかもそれだけでなく、自分の子供が2人死んで、一人は知的障害者だったり、夫がすぐに亡くなったりとか
様々な不幸に襲われながらも、決してくじけずに必死に生きてきたことをこれもすごいと思います。
そして、知的障害者のために施設を作り、残りの人生を知的障害者の人たちのために捧げて
生き抜いたこの人は是非、教科書とかに載せてもらいたいです。
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- 私は、この映画で初めて石井筆子さんを知りました。
石井筆子さんは名前はあまり知られていないけど、女子教育や障害者教育において活躍された方で、 このような人が自分たちの住んでいる大村の出身でとてもおどろきました。
私は石井筆子さんはとても行動力のある人だと思いました。
若い頃に上京したり、海外に留学したりしてとてもすごいと思いました。
今の時代は留学する人も多くそこまで珍しくはなくなってきたけど、その当時に留学するというのは 大変なことだったと思います。
また、3人のうち2人は亡くなり、もう1人は知的障害というなかでとても苦労されていました。
でも、そんなことに負けず、夫の建てた障害者の学園を守り、途中火災にあいながらも前向きに懸命に生きていて 本当にすごい人だと思いました。
今、私が学校で当たり前のように勉強できているのも、石井筆子さんがいてくれたおかげなのかもしれないと思いました。
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【3年生】 |
- 私はこの映画を鑑賞して初めて“石井筆子”さんのことを知りました。
周りの津田梅子さんなどは歴史の授業で勉強したので知っていましたが、石井筆子さんについては
全く知識はありませんでした。
映画を観ている中で気づいたことは、この人がいなければ私たち、または障害者の方々たちの
居場所は無かっただろうということです。
石井筆子さんが立ち上がらなければ、私はこの場所で勉強していなし、障害者の方もただじっと
差別に耐えていかなければならなかったと思います。
私は、石井筆子さんはしっかりと自分の芯をしっかり持ち、人のために何かができる人間になりたいと思いました。
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- 僕はこの映画を観たことで石井筆子さんの考えを理解し、共感することができたと思います。
まず心を引かれたのは戦前の男尊女卑の時代に男女同権を訴えたことです。
これは、同じく男女同権をうったえた平塚らいてうより10年も前のことというのもあってすごいと感じました。
さらにその後、知的障害者の教育を目的とした滝乃川学園を創立し、障害者の教育にその生涯を捧げています。
このことから筆子は自分の信念を最後まで貫き通したことがわかります。
こういう人こそ今の世代に必要であり、また自分自身もそのような人間になることを目標にすべきだと思います。
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